aki_no_tabiroku’s diary

自身の趣味である旅行と外出先で出会った場所等を書いていこうと思います。

未曾有の大津波を耐え抜いた文字通り奇跡の松〜奇跡の一本松〜

〈奇跡の一本松〉
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広田湾沿いに広がる海岸線。かつてこの場所は「高田松原」と呼ばれる松林が数キロに渡り広がっており、特に夏は松林と白く美しい砂浜から、海水浴客で賑わう等、通年を通し地元市民や、県内外から沢山の人々が訪れる景勝地として、陸前高田市の象徴とも言える場所でした。





しかし、平成23年3月11日午後2時46分、後に「東日本大震災」と呼ばれる最大震度7を記録する大地震の発生、その後押し寄せた大津波(推定到達時刻は午後15時20分頃、陸前高田市中心市街地への津波到達高さは15メートル強)により、沿岸部の松原ごと押し流し、街を飲み込んだ津波は気仙川を遡り、遥か内陸部にある矢作町・竹駒町まで到達。一部はさらに上流、横田町手前まで押し寄せ、
その後、引き潮となった津波は、倒壊した家々を海へと押し流し、波が引いた後の街は魚死骸や瓦礫等で埋め尽くされました。





そんな中でもこの一本の松だけは、奇跡的に耐え抜き、その姿から「奇跡の一本松」と呼ばれ、震災を生き延びながらも、大切な人や家を失い悲しみに暮れていた人々を勇気づけ、「復興のシンボル」として親しまれてきました。
(耐え抜いた理由としては松から見て海側、正面にあるユースホステルが防波堤の役割をした。他の松に比べ幹が太かった等諸説あります。)
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しかし、生き延びたと言えども損傷がない訳ではなく、海水の侵入等が原因で、翌平成24年に枯死が確認されました。
それでも、その姿から市民だけではなく世界中の人々から復興のシンボルとして親しまれてきた一本松を、今後も後世に語り受け継いでいくために、モニュメントとして保存整備をすることになりました。
そして、発足した保存プロジェクトにより、内部に心棒を通し防腐処理を施した上で元の場所へ立て直された事で、これからも復興に向けて歩みを進める陸前高田や被災された地域を今後も励まし・勇気づけ、見守ってくれるでしょう。
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ユースホステル
頑丈そうな建物ですら損壊させてしまう威力...幸い震災発生当時は、長期休館中だった為に人的被害はなかったそうです。
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〈奇跡の一本松とユースホステル
こうして見ると、本当に守ってくれたと思えます。
偶然が重なり合う事で松が耐える事が出来た、そう考えると奇跡って凄いなと改めて感じます。
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〈献花台〉
奇跡の一本松の前に置かれた献花台。
僕はこの前で14時46分を迎えました。
ここに来るといつも涙で潤んでしまいます。
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〈ヒョロ松君〉
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アンパンマンの生みの親で知られる
やなせたかし先生が津波に耐え抜いたこの松に感銘を受け、「優しく微笑む太陽が光を一本松に照らす」という希望も込めてデザインした「ヒョロ松君」をモザイク画にしたものです。