活気あふれる港町気仙沼を眼下に望む〜気仙沼プラザホテル〜
気仙沼湾を見渡せる高台に建つ「気仙沼プラザホテル」さん。
宿泊日は2019年3月12・13日の2泊。
〈ロビー〉
沢山の人形が飾ってありました。
〈屋上テラス〉
良く知る漁船より大きいです。
奥に見える山は安波山です。
気仙沼港内湾
〈客室〉
広々とした和室からは気仙沼漁港を望むオーシャンビュー^_^
2日目の早朝は雪が降っていました。
雪降る気仙沼港を眺めていると、一瞬、雲の切れ目から太陽が顔を出し、伸びた太陽光から水面に一本の道を作っていました。
丁度そこに大島へ向かう船が通った時の写真です。
〈夕食御膳〉
1日目
2日目
〈ホテル情報〉3つの☆
☆地下1,800mから汲み上げる浮遊風呂が楽しめる温泉
☆季節ごとにカツオやサンマ等、旬な魚を使用した等を使用した料理。国内漁獲量日本一を誇るフカヒレも絶品!
☆海側客室からは気仙沼漁港が見渡せます。山側客室でも屋上へ上がれるので一望が可能。(客室はルームキーではなく、従来の鍵穴タイプ)
ホテルホームページ
https://www.pkanyo.jp/
装い新たに再出発!〜網元の宿磯村〜
〈網元の宿磯村〉
かつて「和風ホテル磯村」として営業していましたが、気仙沼を襲った津波により損壊。
長らく休館休館していましたが、2018年8月に後押しを受け、「網元の宿磯村」として再びオープンしました。
〈客室〉
スタンダード和室
〈朝食〉
炊きたての土鍋御飯
〈屋上〉
〈ホテル情報〉2つの☆
☆選べる館内着
☆旬な食材を生かした豪華な料理
2018年8月にオープンと言うこともあり、全体的に綺麗で食事も趣向を凝らした美味しいものでした。
が、少々マイナスポイントを挙げるなら、大浴場でしょうか。名前で考えていたものより狭かった感があります。ただそれだけで、後は問題なかったと思います。
ホテルホームページ
http://www.hotel-isomura.com/
震災後も街を見守る〜キャピタルホテル1000〜
〈キャピタルホテル1000〉
被災前は海岸に程近い場所にあったキャピタルホテル1000も津波によって流されてしまいましたが、場所を高台に移し、2013年に再びオープンしました。
〈客室〉
客室は全てツインルーム。
奥に見えますソファーがお気に入りです(^^)
客室からの景色
ありがとうございました^_^
〈フロント・ロビー〉
〈レストラン アゼリア〉
旬の料理と新鮮な海の幸を堪能!
夕食
食後にはメロンのティラミスケーキ^_^
朝食
この他に軽めのバイキングもあります。
〈ホテル情報〉3つの☆
☆男女共に大浴場完備
☆旬な食材を生かした豪華な会席料理
☆高台から望む陸前高田の街並み
ホテルホームページ
http://capitalhotel1000.jp/
住所:〒029-2205 岩手県陸前高田市高田町字長砂60-1
TEL:0192-55-3111
FAX:0192-55-3500
完全復興へ向けて歩みを進める〜陸前高田市〜
〈タピック45(旧道の駅高田松原)〉
この建物も津波により被災し、大部分が浸水しました。今後は津波の驚異を今に伝える震災遺構として保存される事になっています。
また、横から見ると建物上層部が斜めになっているのが分かると思います。
この部分は階段になっており、もし、津波が来てもこの場所に登る事で避難出来るように設計されていました。
そして3月11日、この場所に3名の方が避難に無事に助かったとの事です。
〈下宿定住促進住宅〉
国道45号線に建つ5階建ての市営住宅で、写真を見ての通り、最上階である5階はまだ辛うじてベランダのパネルや窓があるものの、それより下層では面影が残っていません。
これは津波により4階部分までが完全に水没し、5階は床下浸水で済んだ為です。この建物も津波の驚異とその到達ラインが一目で分かる震災遺構として、当時のまま保存されています。
〈気仙中学校〉
気仙川の河口に建つ気仙中学校は、日頃から防災意識が高く、津波の襲来を知ると直ぐに近くの高台へ避難。教職員、生徒全員が無事でした。
〈陸前高田市 市街地〉
人工河川を造っているのでしょうか?
市内の主要道路は道が舗装されています。
奥に下宿定住促進住宅が見えます
2021年の完全を目指し、高田松原津波復興祈念公園の整備中。
工事用クレーン車も可動中
公園内の溜め池?
沿岸部には松原に替わり巨大な防波堤が、それより手前に新たな松原が植樹されています。
防波堤に造られた水門。
遠くから見るタピック45
復興が進む嵩上げ地区、賑わい創生へ!〜アバッセたかた 周辺〜
〈まちなか陸前高田駅〉
アバッセたかたのオープンに合わせて開業しました。
この場所を核とした街は新たな民家や個人商店が建ち始めましたが
陸前高田駅から海側を見渡すと
復興とは程遠い景色が...まだまだ復興はまだかなり先です。
それでも去年訪れた際よりは嵩上げも大部分が終わったのか工事車両も少なくなり、整地が進んでいます。
因みに、1年前の2019年3月の時点ではこんな感じです。
別角度から見た市街地跡地
後ろに3階建ての建物が見えますが、名前を米沢商会ビルと言い、震災後に残った数少ない建造物として現在はそのまま残されています。
今年の写真はこちら
〈まちの縁側〉
世界的な建築家隈研吾氏が設計し、気仙大工の技法を用い、2020年1月にオープン。
新たな地域交流の場として期待され、屋上テラスやカフェ等があります。
〈本丸公園〉
アバッセたかたの直ぐ裏手にある小高い山
その中腹辺りに市内を展望出来る場所があります。
〈アバッセたかた周辺〉
新たな街の中心へ!〜アバッセたかた〜
〈アバッセたかた〉
陸前高田中心市街地復興計画に基づき、2017年4月に市の中心部の嵩上げ地区にオープンした商業施設です。
主な店舗に、MAIYA、ツルハドラッグ、しまむら等が店を構える他、市立図書館も併設されており、市民の新たな交流場として、街の賑わいを生む場所となっています。
アクセスも、アバッセたかたの目の前にBRT大船渡線の駅である「まちなか陸前高田駅」が整備されており、利便性が高い場所となっています。
因みに、アバッセとは地方の方言で「一緒に行きましょう」と言う意味だそうです。
〈やぎさわカフェ〉
小休憩をと立ち寄りました^_^,
・2019年
「焼きりんごチョコレートワッフル」
「カフェモカ」
・2020年
「みそパンデロウ」甘を感じられる口当たりに、カステラを彷彿とさせる優しい食べごたえがありました。...と思ったら、パンデロウとはポルトガルから伝わった半熱カステラと呼ばれるお菓子だそうです。
・共通
「短角牛の濃厚トマトスープ」
八木澤商店さんの通販サイト(下記URL)にてパンデロウが売られています。
https://yagisawa-s.jp/smp/item/0701120.html
住所:〒029-2205 岩手県陸前高田市高田町館の沖1番地
営業時間:9時〜19時
TEL:0192-53-5111
定休日:年中無休
未曾有の大津波を耐え抜いた文字通り奇跡の松〜奇跡の一本松〜
〈奇跡の一本松〉
広田湾沿いに広がる海岸線。かつてこの場所は「高田松原」と呼ばれる松林が数キロに渡り広がっており、特に夏は松林と白く美しい砂浜から、海水浴客で賑わう等、通年を通し地元市民や、県内外から沢山の人々が訪れる景勝地として、陸前高田市の象徴とも言える場所でした。
しかし、平成23年3月11日午後2時46分、後に「東日本大震災」と呼ばれる最大震度7を記録する大地震の発生、その後押し寄せた大津波(推定到達時刻は午後15時20分頃、陸前高田市中心市街地への津波到達高さは15メートル強)により、沿岸部の松原ごと押し流し、街を飲み込んだ津波は気仙川を遡り、遥か内陸部にある矢作町・竹駒町まで到達。一部はさらに上流、横田町手前まで押し寄せ、
その後、引き潮となった津波は、倒壊した家々を海へと押し流し、波が引いた後の街は魚死骸や瓦礫等で埋め尽くされました。
そんな中でもこの一本の松だけは、奇跡的に耐え抜き、その姿から「奇跡の一本松」と呼ばれ、震災を生き延びながらも、大切な人や家を失い悲しみに暮れていた人々を勇気づけ、「復興のシンボル」として親しまれてきました。
(耐え抜いた理由としては松から見て海側、正面にあるユースホステルが防波堤の役割をした。他の松に比べ幹が太かった等諸説あります。)
しかし、生き延びたと言えども損傷がない訳ではなく、海水の侵入等が原因で、翌平成24年に枯死が確認されました。
それでも、その姿から市民だけではなく世界中の人々から復興のシンボルとして親しまれてきた一本松を、今後も後世に語り受け継いでいくために、モニュメントとして保存整備をすることになりました。
そして、発足した保存プロジェクトにより、内部に心棒を通し防腐処理を施した上で元の場所へ立て直された事で、これからも復興に向けて歩みを進める陸前高田や被災された地域を今後も励まし・勇気づけ、見守ってくれるでしょう。
〈ユースホステル〉
頑丈そうな建物ですら損壊させてしまう威力...幸い震災発生当時は、長期休館中だった為に人的被害はなかったそうです。
〈奇跡の一本松とユースホステル〉
こうして見ると、本当に守ってくれたと思えます。
偶然が重なり合う事で松が耐える事が出来た、そう考えると奇跡って凄いなと改めて感じます。
〈献花台〉
奇跡の一本松の前に置かれた献花台。
僕はこの前で14時46分を迎えました。
ここに来るといつも涙で潤んでしまいます。
〈ヒョロ松君〉
アンパンマンの生みの親で知られる
故やなせたかし先生が津波に耐え抜いたこの松に感銘を受け、「優しく微笑む太陽が光を一本松に照らす」という希望も込めてデザインした「ヒョロ松君」をモザイク画にしたものです。