aki_no_tabiroku’s diary

自身の趣味である旅行と外出先で出会った場所等を書いていこうと思います。

今年も行きます、東北へ!

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2011年3月11日午後2時46分...



その時、僕は母と共に横浜駅の地下街にて買い物をしていました。
「そろそろ帰ろうか」
そんな話しをしていました。



すると突然、



ガタガタっ!



とはっきりと感じる大きな揺れ、



以前から囁かれていた首都直下型地震が起きたのかと思い
急いで携帯を取り出すと「"宮城県沖にて震度7"を観測しました。」



えっ!



さらに情報をと調べると横浜周辺も最大震度5強...沿岸部では津波警報が発令...



同時に母も家族へ連絡をするも繋がらず仕舞い。
それもそのはずで、周りの人たちも一斉に電話を掛けていたことで回線が回らなくなったのが原因でした。



とりあえず家に帰ろう。



そう話し、電車が止まっていた中、まだギリギリ運行していたバスを使い帰宅。
中へ入ると、テーブルや机の上の物、小棚などが床に散らばっていました。



それよりも!



まずテレビをつけると、上空のヘリコプターからの中継が映しだされ、画面の端には日本列島と沿岸部に赤と黄色のラインが点滅していました。
アナウンサーも「まもなく津波が...」「沿岸部にお住まいの方は速やかに高い場所の避難を...」と繰り返し訴えていました。



画面から目を離せないでいると父が帰って来ました。
そしてほどなく、「今津波が到達しました!」悲痛とも聞こえるアナウンサーの声と共に津波が内陸部へと侵入。先程まで映っていた家や畑が飲み込まいく映像は今でも鮮明に覚えています。



そして月日は流れ、
被災地へ初めて訪れたのは2018年9月でした。
その時は宮城県石巻市、女川町、岩手県陸前高田市を巡り黙祷・献花をしましたが、その中でも陸前高田は特に衝撃的でした。
そこに中心街が存在していたハズの平野部には何もなく、道路を行き交う車も工事車両と津波の痕跡を残す廃棄と化した建物が僅かに残っているだけでした。



自然とあの時の映像がフラッシュバックして
涙がこぼれました。



"あの場所へ行こう"



あの場所とは、町を飲み込んだ津波を耐えた"奇跡の一本松"と呼ばれる松の木の事です。



陸前高田を飲み込んだ大津波を文字通り耐え抜いた一本松。その後ろには津波により一部が変形・崩壊した"陸前高田ユースホステル"が見えました。



建物を破壊させる程の津波を、この松は耐えたんだ...辛かっただろう



頬に滴を溢しながら
花を添え、手を合わせました。
この時、僕はそこで、次は3.11に合わせて陸前高田に来よう。そう決心した翌2019年3月11日、再び陸前高田を訪れ、
これ以降、可能なら毎年訪れようと決めました。



いよいよ来週より
今年は新型コロナウイルスの影響もあり中止しようかどうか迷いましたが、予定通り3月11日に合わせて陸前高田に行こうと思います。